山形旅行
(4/4)
前日に戻る
2015.11.3
昨晩の予報では、晴れるとのことでしたから夜明けの景色を見てみようと
ちょっと早起きしてみました。
穏やかな海
朝焼けが綺麗でした。
日の出
朝風呂に入ってちょっとゴロゴロしてから朝食へ。
朝食はバイキング形式。
オープニングラップ(爆)
何ラップか周回しました(爆)
気仙沼チャウダーだったか?
写真に写っている左上のクラムチャウダーが美味しかったです。
満足して8時半過ぎにフロントで精算をしてホテルのバスに乗って語り部を聞きにいきました。
ホテルの職員が説明します
震災の時間で止まった時計
旧中学校なのですが、津波は高台にある校舎の1階まで来たそうです。
校庭には仮設住宅が建っていました。
防災庁舎
この周囲はかさ上げ工事のため、盛り土がこの建物の高さよりも高く盛られていました。
日々、この景色が変わって行ってるそうです。
かさ上げはするものの、
人が戻ってくる保証はどこにもないから税金の無駄になるでは???
とのことでした。
今の深刻な問題は、町の人口減少が止まらないことなのだそうで・・・
ホテルに戻り出発。
南三陸ホテル観洋
TV等でこの宿が一時避難場所として稼働していたのを知っていたので
一度来てみたかったんです。
叶って良かったです。
R398を走って女川町方面へ進んでいきます。
この界隈は未だに復興もままならない感じで、片付けは済んだけれどそれっきり・・・
といった感じの場所が多かったかな?
神割崎
たまに大波が来て大変なことになっていました(^^;
旧大川小学校
津波で生徒が多数流されてしまった学校。
両親は、何故わざわざ危ない川の方に逃げたのか?
・・・と、思っていたようです。
私は、
”現場を見れば何故そういう行動を取ったか解ると思う”
と言っていました。
現場に来て、この立地条件を見て、その判断になってもやむを得なかったのかな?
・・・と思ったようでした。
河口方面を望む
ここには元々は集落がありました。
それも津波で全て流されてしまったとのことです。
山に逃げるったって、急な勾配の杉林しかないから
教師の立場からすれば安全面を考えると無理な話だったんだろうな・・・って。
問題はその後の対応が非常に不味かったというところだと思います。
女川町に入ると、港の周辺には建物が結構建っていて結構賑やかでした。
女川駅
駅の前にはショッピングモールの建物も建設されていて、
今まで見た中では一番復興しているんじゃないの?
・・・という印象を受けました。
よくよく考えてみると・・・ ここは原発立地地域か。
カネが沢山落ちてきているのかな?
昼時だったのでどこかでご飯を食べようということになり・・・
何食べる?
・・・と、聞くとラーメンか何か簡単に。とのこと(^^;
金華楼というお店に行きました
丁度昼時で結構混雑していました。
ちょっと面白いポスター
これってポスターのコンクールやっていたみたいですね。
パイコー麺
ミニ麻婆丼
お客さんが沢山来るお店だけあって、美味しかったです。
どこかでお風呂に入って仙台駅に向かうことにします。
ツーリングマップルを見ていたところ、仙台市郊外に
”明日の湯”
・・・というのが出ていたのでそこに向かいました。
明日の湯
こんな場所にあるの???
・・・というような場所にある小さな温泉でしたが、
お湯はヌルヌルのアルカリ泉で良かったです。
さて、後は新幹線の中で食べる晩ご飯の調達くらいです。
お店がなかなか見つからずに、仙台市内まで来てしまい(汗)
ダイエーで買い込んでレンタカーを返却。
最近の車は燃費は良いですね
借りた車は、ホンダのフィットの3代目でしたが
一部???な箇所はあったものの
運転もしやすかったのでなかなか良かったです。
後席に乗っていた両親も、この車はなかなか快適だよと言ってましたし。
早く着いたので、新幹線の列車を変更してもらい18時過ぎの新幹線に乗り込みました。
ごはん〜♪
・・・と思ったら、箸をもらっていなかった事に気がつく(汗)
売り子のおねいさんに聞いてみたら、割り箸をいただくことが出来ました。
あなたは神です。
#勿論、そのおねいさんから買い物しましたよ。
あっという間に上野に到着して、東海道線に乗り換えて22時頃帰宅。
上野東京ラインが出来て上野で乗り換えが出来るのは空いていて楽かも?
今年も山形に行きました。
食べ物が何を食べても美味しいと思うのもありますが、
素朴な地元の人達との交流がまた楽しいと思っています。
また、被災地にも行ってみて地元の人の声を聞いたりするのも
色々と考えるきっかけになるかな?
とも思っています。
・本日の走行ログ
Google MAPに軌跡を重ねています。
TOP 気まぐれなお出かけ日記TOP