特別編 東北地方太平洋沖地震
私個人の記憶として残しておきます
いい加減ウンザリしてる人も沢山いると思いますが、一週間前の当日の自分の記録として書いておきます。
見たくない人は流してください。
2011.3.11 PM2:46
その日、自分はいつものように横浜市内の某電機メーカーの客先で仕事をしていた。
回路の合成をWS上のツールに投げて、今度の回路は上手く動くといいなと思いながら
明日からの土日で房総半島のいすみ鉄道沿線の菜の花でもZZRに乗って見に行こうかな・・・なんて思っていた。
前に仕事をしていたリーダーの人が私のところにやってきて、
私が担当していた部分の質問をし始めたときにそれは起こった。
めまいがしたのか? と思うようなゆらゆらとした揺れが少し続き・・・
いつもは地震があっても様子見する位で、
そうは思わないのだけれどもこの時は何故か直感で
”これはやばい”
と私の脳は判断。
顧客のリーダーの人に、
”これはデカイから机の下に入った方が良いですよ! マジで!”
・・・と、キョトンとしている顧客を尻目にそそくさと机の下に潜る。
間髪を置かずして、猛烈な横揺れが建物を襲う。周りの人間も皆机の下に避難。
ドッカンドッカン、ガッシャンガッシャン!
あのTVで見た大地震の時の揺れる音が今ここで起こっている!
猛烈な揺れが襲い、恐らくは立ってはいられないのではないかと言うほどの強烈な横揺れが建物を襲う。
建物はまるでドリフのコントで壊れる椅子のような感じで左右に大きく揺れてこのまま倒れてしまうのでは・・・
と思うくらいの激しい横揺れ・・・
机の下で周りを見ていると、天井のボードが落ちてくる、近くの防煙の仕切りのためと思われるぶ厚いガラスが
横揺れの圧力に負け、木っ端微塵に割れて落ちてくる・・・
#少し前まで作業で自分はその場所にいた。潜っていなかったらと思うと今もぞっとする・・・・
PCやモニタが机から転落してフロア内がとんでもないことになっているのが見えた。
・・・関東に大きな地震が来るとは言われていたけれども、今日だったか・・・
もうダメかもしれない・・・家は大丈夫か?家に居るはずの親は?東京で働いている彼女は?
と長い長い揺れが収まったので、火事が心配だったからすかさず外を覗いてみる。
近くの小さな公園には、地震が大きかったからだと思うが若いママさん連中が肩を寄せ合って立ちすくんでいる。
そこに続々と人が集まってきていた。
だが、この建物はこんなに強く揺れたのに周りの家は不思議な位倒れていない。火事も確認出来ない。
唯一近くを走っている鉄道の信号は、
”緊急停止”
を示す赤いランプが点滅していて地震が大きかったことを示していた。
すかさず母親にケータイで電話をしてみるが既に輻輳していて使うことが出来ない。
自社のリーダーがwebアクセスをしたところ、ネットにはあっさりと出ることが出来たので震源を見てみると
なんと震源は関東ではなく宮城沖。しかも栗原市が震度7!
横浜でこの猛烈な揺れということはあっちはどうなっているのか???
と、呆然としていると、顧客からヘルメットを渡されて
”ここは危険なので避難します!”
・・・と言われ、綿のワークシャツ1枚では寒くてたまらないから
自分達の荷物が置いてあるフロアに立ち寄りダウンジャケットを着て待避。
荷物が置いてあるフロアは不思議な位損傷もなく、そこにいた同僚は
”えっ? 避難するんですか?”
・・・という顔をしていたのが印象的でした。
準備をして避難をしていくと、階段の壁が割れていた。
このビルは免震構造だって言うけど本当かなぁ?
・・・って感じ・・・
先日防災訓練をしたばっかりの同じ場所に集まってケータイでメール打ったり電話が通じないか試していると、
また大きな地震がやってきました。
ガッシャンガッシャン!ガッシャンガッシャン!
隣接している高層ビルがビックリするくらい揺れているのが見えます。
・・・こりゃ・・・マジでやばいわ・・・
ケータイ(auです)は通話は輻輳していて使えないのですが、ezwebは何故か普通に使えてネットには出れる。
Eメールも送れる。
そこで、自分のHPの掲示板に生存報告と両親、彼女、妹に向けて自分は大丈夫とメールを送りました。
生きていればどこかで返してくれるだろう・・・
こっちから送信する通信手段は使えないのでケータイのワンセグでTVを見てみると既に各局とも特別番組が報道されており、
”大津波警報”
という聞いたこともない津波警報が出ていて、ただならぬ事態になっていることを知る。
点呼が終わると、建物の安全が確認されたので建物に戻るよう指示が入る。
・・・が、上層2フロアの被害が大きく立ち入り禁止となっていた。
自分達の詰め所があるフロアに戻り情報収集していると、顧客より帰宅指示が出る。
鉄道が全て止まっているので皆帰宅ルートをgoogle
map等で探していました。
自分は幸いに1時間弱で歩いて帰れるので徒歩で帰る。
元々地図読むのも好きだったし、健康のため・・・と思って最短距離を見つけて歩いていたのが役に立つとは・・・
職場は建物は壊れたけれども水道、電気は生きていたのでもしものことを考えて
職場で使っていた水筒に水道の水を満タンにして持ち帰る。
職場の大荒れな状態が嘘のように街は普通だったのが印象的だった。
ところどころで見る家の中も崩れているわけでもない・・・ なにか悪い夢でも見てる感じ・・・
ただ、いつも歩いている国道は車が上下線ともびっしりと渋滞していて全く動かず、バスも超満員で乗ることも出来ない・・・
いつもは人もまばらな歩道に多数の人が列をなして歩いていました。
これは夢じゃない。現実なのだ・・・と。改めて思う。
お年寄りが、
”足が痛くて歩けない”
・・・とか言っているが、この状況下頼れるのは基本的には自分の体だけ。
本当に生き残りたいならそんな甘え事なんか言ってる場合じゃないんだよ・・・と思いつつ・・・
#どう見ても健康そうな人がそんな甘え事を言っていたので。
途中、高速道路の高架下を歩くのですが高速に車が走っていないのを初めて見る。
コンビニで食料を買おうかとも思ったのだが、我が家には充分過ぎる位の備蓄があったはずなのでそのまま帰宅。
帰宅すると、両親がTVに釘付けになりながらまるで人事のように津波の映像を見て熱く語っていました。
自分がこんな時間に帰宅する時点で普通じゃないと思わないのだろうか?
そんな中、母親が揚げ物をし始めたので、さすがに我慢出来ずにブチキレた(^^;
俺が命からがらで帰ってきて余震が続いてる時に揚げ物なんかしてお前は死にたいのか!
・・・と。
また、TVを見て凄い凄いとまるで人事のように連呼している父親には、
お前は傍観者ヅラしてるが違うんだぞ!関東も横浜も大変なんだぞ!
・・・と。
まったくもう・・・自分の親ながら危機管理の無さには呆れるばかりだ・・・
その後余震がたまに続く中、我が家は特に停電も断水もなく普通の生活を送っていました。
彼女とは地震発生後3時間位してからメールで連絡が取れて無事であることを確認。
いつも外回りすることが多いんだけれど、今日はたまたま社内にいたみたい。
TVでは鉄道が全て止まり、帰宅困難者が続出していると報道しているので
彼女には徒歩帰宅の人が多くてまた地震があるとパニックが起こって大変なことになるから
今日は会社で待機が良いよとメール。
#結局ヤツは新幹線、バス、私鉄と乗り継いで深夜には帰ったみたい。
#臨機応変に対応出来る能力は俺よりも上かもしれない・・・と感心した。
元々備蓄していた水道水を今後来るかもしれない余震に備えて全て入れ替えておき、
キャンプ道具入れからLEDランタンとヘッドライト、車からは改造LEDランタンを取り出し、
エネループを全て充電して万一の停電に備えておきました。
たまにケータイから緊急地震速報のサイレン音が鳴ったり、グラグラと揺れたりする中、就寝。
明日が休日だからまだ良いけれどもこの後どうなるのだろうか・・・
TOP 気まぐれなお出かけ日記TOP